「きっかけ」とは、自分がそう思うからこそ、きっかけになる——。
以前、加藤諦三さんの本でそのような言葉を読んだ。今回は、大学生活、特に部活動を通して考えた「人間関係」について書いてみたい。
能動的に人と関わる
大学で、私はある体育会系の部活に所属している。気づけば入部から2ヶ月。自分の限界に直面しながら、日々練習を重ねている。
先日、部活の関係で都内のクラシックコンサートのお手伝いをした。そこで先輩や同期と関わる中で考えたのが、「能動的人間関係」である。
先輩だから敬語を使う、先生だから指示に従う——それらは「行動」の違いに過ぎない。
私が考える「接し方」とは、どのような姿勢で相手と向き合うかということだ。
つまり、
「私はこの人から何を学べるだろう?」
という視点を持つことである。
ただそばにいてくれるだけで心が安らぐ友人もいる。それも素晴らしい。
しかし私は、誰に対しても「この人には自分にない何かがある」という尊敬を持って接したい。
……「マジメくんか!」と、自分でツッコミを入れたくもなるが(笑)。
三人の先輩から学んだこと
コンサートでは、三人の先輩の姿が特に印象に残った。
一人目の先輩は、仲間が外部の人への挨拶を怠った際、きちんと注意していた。そこに私は、自分の基準を持つことと、仲間を大切にする姿勢を感じた。
二人目の先輩は、月末に迫った大会に強い危機感を持っていた。その姿から、仲間を率いる人が背負う責任について考えさせられた。
そして三人目の先輩は、私にこう言った。
「この水準に到達できますか? したいですか? この1ヶ月で見せてください」
ハッとした。
成長するための1ヶ月が、自分には与えられている。
それをどう使うかは、自分次第なのだ。
人との出会いから学ぶ
先輩の中には、あと数ヶ月で部活を卒業する人もいる。そして来年の今頃には、私にも後輩ができているだろう。
そう考えると、今の環境をただ受け身で過ごすのはもったいない。
人間関係は、「気が合う人と一緒にいる」だけのものではないと思う。
自分より経験のある人から学び、友人の考えに耳を傾け、自分とは違う人の人生に興味を持つ。
聖書にはこうある。
悪い交わりは、良い習慣を損なう。
Ⅰコリント15:33
誰と、どのように関わるかは、自分自身にも影響を与える。
だからこそ、良いものを持っている人との出会いを大切にしたい。
同時に、「この人から学ぶものはない」と簡単に人を決めつけたくもない。
一見しただけでは分からなくても、その人には、その人にしかない経験や背景があるからだ。
最後に
結局、私が言いたかったことはシンプルである。
どんな人にも、その人が生きる中で紡いできた物語がある。
人と関わることの美しさは、その物語を知ろうとすること。そして、
「この人から何かを学ばせてもらおう」
という謙虚さを持つことなのではないだろうか。
人との出会いを、ただの「付き合い」で終わらせず、互いに学び、成長できるものとして大切にしていきたい。
人との出会いは、その人の物語に触れる機会なのだから。
おわり

